南武線人生色

南武線、90周年だって。

おめでとうございます

昭和53年。

frogちんが高校生の頃って

こんな古い電車が走ってたですか?

イケイケだと思ってたのに

いつの間にやら昔の人。

(笑)

昭和63年。

この形の電車は記憶に新しい!

まぁーるい緑の山手線

真ん中通るは中央線っ!

なーんて、

が流行ってた時代の

電車ですぅ。

さて、矢向駅から向河原駅

移動したです。

どう、

母さん何か思い出せたかな。?

ホームは1つだったかな。

19607

って、なってるもんね。

母さんの記憶のホームは

これよりもっと昔なんだね。

母さんね

耳も遠くて、

背中も丸くなって、

しわくちゃなお顔になって、

その姿はしっかりと現在に

溶け込んでるけど、

ピカピカに輝いてた

娘時代があったんだもんね。

なんだかいとおしいぞ

母ちゃん。

ホームからの

への専用改札口。

ああ、確かホームの向こうは

日本電気の会社と寮があったかな。

母がお勤めしてたから

間違いないよ。

そうなの?

frogちんのおばあちゃん

お勤めしてたんだ。

初耳だな。

って、

日本電気のことだからね。

(笑)

昭和な作りの駅舎に

鉄筋で補強されてますの。

古き良きモノは

頑張って残してくださいまし。

では、何かを期待しつつ

駅前へ。

向河原駅です。

駅舎の横にはコンビニですの。

随行と駅前も変わったね。

面影ないな。

そりゃ、そうだ!

ホームから直接入り込んだ

あのボロアパートは

この通り沿いにあったはず。

うーん、

マンションばかりなり。

母さんね、

このあたりのアパートに

住んでたわ。

多摩川の土手近くに銭湯があって

お風呂がなかったから

よく行ったのね。

酒屋さんもあった。

お味噌を分けてもらったことも。

そーか。母さん

向河原に住んでたんだ!

アハハ

古いのも残ってるw

この道路の向かいにあったんだな。

と、

うろうろしていたら

90才くらいのおばあさんが

話しかけてきたです。

なにか探してるの?って。

ボロアパート

母が私の母となってから

時預けられてた伯母のアパート。

クリスマスの夜に

誰かがプレゼントしてくれた

紙のブーツと駄菓子たち。

おっきな喜怒哀楽だから

より繊細に記憶されてます。

して、

たまたま、

出会ったおばあちゃんに

50年も前のことを

ちょっとだけお話したです。

そしたらね、

鳥肌立ったですのぉぉぉ

たまたまな、

おばあちゃんは

母たち姉妹のことを覚えていた。

伯母の名前やアパートの名前、

伯母がこぼしてした愚痴までも。

内職していた伯母のアパートに

よく上がり込んで

時間を共にしていたという。

お友達だったんだ。

どんな娘さんだったのでしょう?

どんな恋をしてたのでしょう?

みーんな輝いてた!

たまたまなおばあちゃんの

人生色も聞いて、

伯母や母に、

よろしく伝えてほしいって

お写真撮りましたの。

今も輝いてるおばあちゃん。

ちゃんと、

母たちに見せますからね。

そして、伝えます、

おばあちゃんの色も

母の人生色は

私の育った環境に影響したかも

しれない。

だから

母のこと大嫌いだった

時期もあった。

でもね、

私の色の最後の決断ってやつは

自身がしてたはず。

だから言い訳はもうしない。

うむ、

誰かのせいにするのは

おしまいですの。

母の日に伯母や、母に

このおばあちゃんのこと

伝えたです。

でもね、

母だけは、なんとしても

思い出せないようで

(笑)

都合の悪いことは忘れてるんだなー。

うん、それでいい。

人様の人生の色は

理解できる年齢になりましたの。

楽しかった事だけ持って

あの世にいってくださいましね。

私もそうするです。

人様の色にお付き合い頂いて

ありがとでしたの。

おやすみーんっ!